ある高校物理教師のつぶやき4題
喜多 誠
慶應義塾名誉教諭
日本物理教育学会理事(副会長)
答えられなかった課題:
「何故近代自然科学はヨーロッパで誕生したか?」この課題は1973年4月国際基督教大学の新入生に向けて,大学教授が提示したものである。「新入生諸君,これから4年間の間に以下に提示する4つの課題を解いてほしい。」と教授が提示した4つの課題の内の1つである。この年の3月に卒業したばかりの私は,何故か大学のチャペルに入り込んで聞いていた。残りの3つの課題に対しては簡単に答えが浮かんだ。しかし,この課題に対して私は答えられなかった。曲がりなりにも物理学教室で物理を学んでいた・・物理は自然科学の基礎に位置する学問・・にもかかわらず,答えられなかった。このとき,「お前はちゃんと勉強したのか」と自責したことは今でも生々しくよみがえる。その答えを見出すのに4か月を要した。
教壇に立って思い知ったこと:
大学4年次の時点では,物理プロパーでいくことを考えていたのだが,その能力の限界を感じ,卒業時点で教職につくことに方向転換した。全く取得していなかった教職課程を学ぶことにした。そして,大学院の教育学研究科に進み,修士論文のテーマとして「エントロピー概念の高校課程への導入」を選んだ。修了後,1976年4月より神奈川県の県立高校の教壇に立つことになった。1年目に物理を教えているときに3回背中に大汗をかいた。たまたま,赴任校が物理と生物を担当することができる人を採用ということで,生物の授業ももった。生物は専門外なので,授業準備は入念にした。物理は専門なので授業準備はほとんどしなかった。いざ説明しようとしたときに言葉が出てこないのである。頭では理解はしているのだが,説明できない焦りからアッという間に背中に汗が。今ならば「御免なさい,準備不足でうまく説明できない,次回までの宿題とさせて」と。「理解していること」と「教えることが出来ること」は明らかに違うことを教えられた3回であった。
福澤諭吉の「物理学之要用」:
1991年縁あって,慶應義塾高等学校に赴任することになった。そこで,慶應義塾の創設者福澤諭吉の「物理学之要用」を知ることになった。これは明治15年3月22日付の福澤が興した新聞「時事新報」に掲載されたものである。福澤はそれを遡ること15年前,明治元年に「窮理図解」という万人向けの科学の啓蒙書を書いている。福澤のいう「物理学」は幅広く「自然科学」という意味合いに近い。「物理学之要用」は,生徒の素朴な疑問『文系に進む私に物理を学ぶ必要があるのか?』に対し,明快な答えを出してくれている。
注:「物理学之要用」は青空文庫で読むことができる。
物理学は面白い:
2020年12月はやぶさ2は地球に戻ってくる。その軌道制御に出力10mNのイオンエンジンが使われ,軌道計算はコンピュータで行われ,そのプログラムの根底には運動方程式がある。今回のミッションが遂行されれば,生命の誕生の秘密に迫ることができるとか,それを思うとき,ただ感心し,また非常に嬉しさを覚える。そして,これからの科学を支える若い諸君に大きなエールを送りたい。
【略歴】
出身高校 | 静岡県立沼津東高等学校 |
大学・大学院 | 国際基督教大学教養学部(1973年3月卒業) 国際基督教大学大学院教育学研究科(1976年修士課程修了) |
主な職歴等 | 1976年4月 神奈川県立茅ケ崎高等学校教諭(物理、生物) 1983年4月 神奈川県立港北高等学校(物理) 1991年4月 慶應義塾高等学校教諭(物理) 2016年3月 定年退職 2017年6月より 日本物理教育学会理事(副会長) |