「物理の種を播く人たち」
2006年シンガポール大会代表
野添 嵩
私は現在ニューヨーク大学で、微生物実験と理論物理学を組み合わせて研究するグループに所属し、細胞集団の増殖過程に関する研究を行なっている。大学院に進学する際、生命現象を物理学の視点で研究したいという思いから、微生物の1細胞計測実験を行う研究室を選んだ。実験の意義や魅力を知ったのは高校生のときに物理チャレンジ/オリンピックに参加したことがきっかけである。
本稿の執筆依頼を受けた3月1日は奇しくも父の命日でもある。2004年、中学卒業直前のことだった。そもそも私が「物理」という言葉に最初に触れたのは、父の職業として、ではないか。生前父は高校教員で物理を担当していた。そういうこともあってか、自宅の本棚には一般向けの自然科学系の書籍や雑誌、あるいは高校生向けの理科教材が並んでおり、幼い頃より私の好奇心を刺激する一因だったと思う。夕食時に父に質問すると、食卓上でティッシュペーパーに絵や数式を書いて説明しくれることがあった。例えば、球の体積や表面積の公式の導き方を質問したときに、積分という考え方があることを教えもらったような記憶がある。学校で「お勉強として」「必要に迫られて」学ぶより前に、数学や自然科学の一端に触れられたことが、私にとっては適当な動機付けとなり、教科書的な説明に満足しない興味の持ち方ができたのかもしれない。高校入試の無い中高一貫の学校に通わせてもらっていたことも、中学3年間通して比較的自由に自分の興味の赴くままに学ぶことを助けた。しかし、数学や特に物理の楽しさや面白さを語り合えるような友人は学校内には決して多くなかった。
2004年秋だっただろうか、「2006年に国際物理オリンピックに日本代表選手を初めて派遣する」ことを偶々数学雑誌上で知る。それがきっかけとなって2005年の物理チャレンジ第1回大会そして翌年の国際物理オリンピックに日本代表として参加するに至る。国際物理オリンピックの参加資格が大学入学前であることを考えると私にとっては絶妙なタイミングだった。物理を(も)もっと学びたいという好奇心を持つ友人たちとの出会いと、物理を(も)学ぶことを応援してくださる(当時の)大人の皆さんの存在に私は大いに勇気付けられたと思う。
物理に限った話ではないが、何かを「やりたい」気持ちがあったとしてもそれを挫くものは、地域差や性差を含め至るところにある。同時に動機付け自体はそう簡単なものではない。先に述べたように私自身は比較的恵まれた環境で育ってきたと思うが、それでも諸々のタイミングによっては物理を学び続ける機会を失っていたかもしれない。物理チャレンジ/オリンピックは全国大会、代表選考過程、国際大会と進むほど参加できる人数が絞られざるを得ない面はあるが、それでも物理に関心を持つ中高生(に限らない)を応援する貴重なプロジェクトであることに変わりはないと考える。課題は彼らを応援するチャンネルを社会にもっと用意していくことだろう。その中には、「教科書的な」物理を学んだ先に何があるのかを様々な形で見せていくことも含まれている。自分自身もまた「種を播く」人であれるよう精進したい。
夏のワシントンスクエア公園(南側から撮影)。
この公園の周辺一帯がニューヨーク大学のメインキャンパスになっている。
普段は学生や観光客で賑わうが、2020年3月12日現在、新型コロナウイルス感染症へ対応として授業や業務のリモート化が行われ、静まり返っている。
【略歴】
出身地 | 鹿児島県 |
出身高校 | 私立ラ・サール高校卒業 |
大学院 | 東京大学大学院総合文化研究科で博士号取得 |
現職 | 現在ニューヨーク大学で博士研究員 |