社会の中の物理学
中村道治
科学技術振興機構顧問
小学2年生の頃、父がノーベル賞を受賞されたばかりの湯川秀樹博士の伝記本を買ってきてくれました。終戦後これからの日本がどうなるか不安が漂う中で、子供ながらも元気づけられて、自然を支配する原理を究めようとする物理に興味を持つようになりました。また同じ頃、ノーベル賞の生みの親であるアルフレッド・ノーベルの伝記も読み、科学技術が如何に社会の発展に役立つかを知りました。当時誕生した鉄腕アトムに感化されて、将来の夢を描いた絵作文では、人の世話をするロボットを取り上げました。
大学の学部、修士課程の6年間は、素晴らしい先生方の下で、優秀な学友と満ち足りた学生生活を送りました。2月の寒い朝のことですが、全員分厚いオーバーを身につけたまま山内恭彦先生の一般力学の授業を受けようとして、授業を受ける態度として良くないと諭されたことを今でも懐かしく思い出します。先生方からは、学問に取り組む姿勢といったものを学びました。大学時代の同級生の中には、スーパーカミオカンデでニュートリノ振動を確認し、ニュートリノの質量がゼロでないことを示した戸塚洋二君や、高分解能電子線ホログラフィ顕微鏡を開発し、アハラノフ・ボーム効果を検証した外村彰君がいました。残念ながら、2人とも鬼籍に入りました。
私は、科学技術を社会の発展に役立てることに興味を持つようになり、日立製作所中央研究所に入所しました。この研究所は、新しい科学技術の潮流に対応するために、小平浪平創業社長によって戦時中に創立されたもので、今日のこともやりつつ、10年、20年先を見た研究も行う中から、計測機器、半導体、通信、計算機など多くの事業を生み出しました。入所当時、物理学科出身の先輩が、これらの分野で多数活躍しておられました。
研究所では、化合物半導体デバイスの研究開発に従事しました。その間、社内の海外留学制度を活用して、カリフォルニア工科大学のヤリフ教授の研究室に客員研究員として滞在し、今日の大容量光通信を支える分布帰還型半導体レーザーの研究に着手しました。この過程で、米国における躍動的な研究文化に大いに啓発されるとともに、新しい研究の流れをつくる喜びを体験し、国際交流の恩恵を享受しました。その後、国内外の研究者と大学や企業の壁を越えて切磋琢磨し、光エレクトロニクスの進展に情熱を注ぎました。
科学技術と社会の関係は、1990年代から大きく変化してきました。それまでの開発一辺倒の取組の結果、気候変動や資源の枯渇、格差の拡大と言った地球環境や人間の安全保障に係わる課題が顕在化し、持続的で誰も取り残さない社会への取組が求められるようになりました。これが2015年の国連総会での「持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals: SDGs)」の満場一致の採決につながりました。私はこの2年間、国連10人委員会のメンバーとして、SDGsのための技術促進活動を支援してきましたが、次の時代を支える人たちが、社会の持続的発展を念頭に、知のフロンティアを果敢に切り拓くことを強く期待しています。
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【略歴】
大阪府生まれ。
東京大学理学部物理学科、同理学系研究科修士課程を経て、
1967年に日立製作所に入社し光エレクトロニクスの研究に従事。
その後、中央研究所長、研究開発本部長、執行役副社長、取締役を歴任。
2011年に科学技術振興機構理事長、2015年に同顧問に就任。
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