「国際物理オリンピックで得たもの」 澤岡洋光
2013年デンマーク大会
澤岡洋光
私のこれまでの24年の人生の中で最も刺激を受けた一週間を挙げるならば、間違いなく2013年の国際物理オリンピックの一週間でしょう。この一週間を通して、私はその後の人生で大きな武器となる「宝物」を手に入れることができました。
物理オリンピックに実際出場するまでは、そこに大きな「宝物」が眠っていることなど知る由もありませんでした。私はもともと純粋に物理が大好きで、同じ高校の先輩方も物理オリンピックでメダルを獲得していたことにも憧れ、物理オリンピックを目指して勉強しました。物理が大好きになったきっかけは、中学の物理の実験の授業にありました。私は実験結果を注意深く考察することで、その実験では意図されていなかった物理法則を発見しました。それ以来、注意深い実験や観察を通じて物事の隠された本質に気づこうとする物理学の虜になりました。そして、物理チャレンジを経て、その能力にさらに磨きをかけることができました。一見説明の仕方が解らないような現象でも、近似を考えたり、実験問題なら様々な条件でデータを取ったりすることで意外と簡単な原理を導くことができた時の達成感はひとしおでした。
このようにオリンピック出場前から物理の恩恵は多大に受けていたのですが、実際にオリンピックに出場することで、私の中での物理に対するアプローチを根底から覆すほどの刺激を受けました。もちろん、一週間のうち合計たった10時間しかない試験そのものから刺激を受けたわけではなく(試験そのものも楽しかったですが)、残りのほとんどの時間で行なった国際交流こそが「宝物」でした。当大会の日本選手団の中で私が最も英語が得意だったこともあり、「交流委員長」を買って出て、エクスカーションの時間などに先頭に立って他国の選手と積極的に交流しました。それらの交流の中で、例えばインドネシアでは物理オリンピックのメダルの色で大学での奨学金の額が変わるといったシビアな話題を聞いたり、世界各国の選手たちと論理ゲームで楽しく対決したりしました。夜にはダンスフロアで踊る他国の選手に混じり、身をもってwork hard, play hardの精神を体験しました。何より、世界中に自分と同じく物理を志す生徒がたくさんいて、しかも自分にはない強みを持つ人々が溢れかえっていることが新鮮な発見でした。物理を独学や先生から学ぶだけでなく、これほどにも魅力的な同世代からも学ばないと勿体ない、というマインドセットを得られたことが一番の収穫でした。
日本選手団は毎年恒例で白紙の世界地図を持参し、交流した選手に地図上の自国に色を塗ってもらう伝統があります。物理オリンピックが終わる頃には、当大会に参加した国の半数の40カ国以上に色が塗られていました。そして、この交流はその後も続き、現在ハーバードではその時のトルコ代表の選手やアイスランド代表の選手と同級生として切磋琢磨を続けています。そして、海外大学進学後は特に、同世代の学生たちとの議論を大切にし、物理への理解が飛躍的に向上しました。一生の宝物をくれた物理オリンピックには感謝してもしきれません。
【略歴】
出身地 | 大阪府大阪市 |
出身高校 | 大阪星光学院高等学校 2014年卒業 |
出身大学 | トロント大学 2018年卒業 |
大学院 | ハーバード大学 Department of Physics 博士課程 在学 |