国際物理オリンピックに参加してからの14年を振り返って「田中 良樹」
2006年シンガポール大会代表
田中 良樹
私は、日本が初参加した2006年の国際物理オリンピック(IPhO)シンガポール大会に参加した。それから14年の月日が経ち、現在は日本の理化学研究所とドイツの重イオン研究所を拠点として原子核物理の研究(実験)を行っている。振り返ってみると、間違いなくIPhOへ参加したことが、物理の研究者を志した原点になっていると思う。
私が物理に興味を持ち始めたのは、中学・高校の頃であった。最初に力学を一通り習った時、シンプルな法則に基づいて様々な現象を統一的に説明するという物理の考え方やその普遍性に感動して、物理に対する興味を持ち始めた。しかし、特別に進んだことを自ら勉強しているというわけではなかった。そして、日本が国際物理オリンピックへの参加を始めるために、国内大会「物理チャレンジ」を開催するというニュースを聞いた時には、例題として挙げられている国際大会の問題に手も足も出ず、自分には縁のないものだと感じていた。そんな折に、偶然廊下ですれ違った高校の物理のA先生から、「全国から来る物理好きな高校生と知り合うということに十分参加する価値があるのではないか?」と声をかけてもらい、参加の応募をしてみることにした。オリンピックと名がつくことから、何かを競うものというイメージが先行していて、このような発想が当時の自分には無かったが、今にして思うとこの時のA先生の言葉が、物理チャレンジ・オリンピックの意義の重要な一面を表していたと思う。
2005年の物理チャレンジでは、奇跡の年と呼ばれる100年前の1905年にアインシュタインが発表した3つの有名論文(相対性理論、光電効果、ブラウン運動)を題材にした問題が出題された。どれも高校では深く扱わない内容であるが、村下君も本リレーエッセイ(2-3)で書かれているように、与えられた出発点からよくよく論理的に考えていけば自らの思考で答え(当時の自分には新たな知見)に辿り着ける、いわば物理の醍醐味を体験できるような問題であった。その後、代表候補となってからIPhOに参加するまで半年間の研修を受け、さらに様々なことを学ばせてもらったことも現在の自分の糧となっている。しかし、10年以上経った今振り返ってみて、物理チャレンジ・オリンピックから得たことで最も貴重だったと思うことを挙げるとすれば、そこで出会った友人たちであると感じる。高校生の頃、学校周辺で閉じていた自分の世界が、物理チャレンジ・オリンピックへの参加によって大きく広がった。大学入学以降も、物理チャレンジ・オリンピックでの友人たちとの繋がりを起点として、さらに大学で出会った人も巻き込んでその輪を広げながら、物理や数学など興味のあることを気ままに勉強したり、語り合ったり、互いに切磋琢磨する、ある種のコミュニティーのようなものが自然と形成されていった。このような環境で学部時代を過ごしているうちに、より本格的に物理を学び、研究の道に進みたいという思いが強くなっていった。
いよいよ2022年に、日本で国際物理オリンピックが開催される。日本での開催が、物理オリンピックの輪がこれまで以上に広がることのきっかけとなることを期待する。最後に、IPhO2022の大成功を祈念すると共に、私自身も何かしらの方法で微力ながら貢献したいと思っている。
IPhO2006代表候補研修合宿での仲間たち
【略歴】
出身地 | 神奈川県横浜市 |
出身高校 | 麻布学園高等学校 2007年卒業 |
大学院 | 東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程 2016年修了 |
職歴 | GSI重イオン研究所(ドイツ) ポスドク |
現職 | 理化学研究所 研究員 |