世界の見方のレッスン「 川畑 幸平」
2011年 タイ大会
2012年 エストニア大会
川畑 幸平
中学に入ってすぐ、同校の先輩が国際物理オリンピックで金メダルに選ばれたと話題になった。当時は日本が物理オリンピックに参加するのは二回目で、金メダルは初めてで、新聞やテレビでも報道された。自分は物理に強い興味があったわけではなく、そもそも物理というのが何なのかすらわかっていなかったが、物理オリンピックというものがあるということを知った。その二年後、なんとなく物理チャレンジに参加することにした。中高の生活にも慣れて、日々が単調になり、なにかあたらしい刺激がほしかったという理由だったと思う。
その物理チャレンジが、物理に興味をもつきっかけだった。物理に関心をもつ同世代の参加者から刺激を受けた。そして、試験問題のなかで提示されるあたらしい概念に興奮した。たとえば、水面波にまつわる問題があったが、日常のなかでも目にする水が織りなす複雑かつ鮮やかなパターンが、このようなかたちで記述できるとは想像していなかった。
こうして物理に興味をもち、また物理オリンピックの候補者に選ばれたこともあって、すすんで勉強するようになった。大学の教科書を読んで勉強し、高校の授業中に読んだり、深夜から朝方まで読み続けたりすることもあった。教科書のページをめくるごとにあたらしい概念が提示され、そのたびに世界の見方が変わった。ただし、物理が対象とする自然現象やその機構に惹かれていたわけではなかった。むしろ、現象自体は意志をもたずにただ自然のなかで生成生起しているはずなのに、力やエネルギーといった、自然に内在しているわけではないフィクショナルな概念を人間が生み出して、ひとまとまりの論理的な物語が作られることに、魅力を感じた。その意味では、小説を読んだり映画を観たりするなかで得られる感動と、自分のなかでは同じ感覚だった。
大学に入ってからも物理の勉強は続けたものの、どの学問を専攻するか、悩んだ。物理のほかにも魅力的な学問が多くあったからだ。いったんは哲学や文学に傾きかけたものの、同じ時期に現代物理をよりよく学んだ。とくに、量子論を学び、世界のなかでの存在のしかたや認識のありかたにたいして、現代では量子論がひとつのかたちで答えを与えていることを知った。なにかが存在するとはどういうことか、そしてそれがどのように認識されるかというのは、古代からずっと人間が考えてきた素朴な問いのひとつである。ものの運動や秩序だけではなく、そのような素朴だが思弁的な問いにまで、物理があたらしい概念をもって実証的に扱えることに驚いた。現代物理が世界にそこまで踏み込めるのであれば、現代に生きる自分は、物理をもっと学びたい、というよりは学ぶべきではないかと思って、進路を決めた。
大学院に入って物理の研究を始めてから、こんどは自分であたらしいことを考えて、論文を書くようになった。残念ながら、これまでの研究の多くは、既存の研究の直接的な一般化で、質的にあたらしいことは提示されていないように思う。しかし、それでも、自分の研究のなかに、些細であってもたしかにあたらしい概念が見出されることがある。そのとき、自身の能力というよりは、物理というひとつの営みそのものに導かれてきたような気がして、そのかぎりない深さをあらためて実感する。優れた小説や映画に触れると、世界がすこし輝いてみえるのと同じように、物理はいつも、世界のあたらしい見方を教えてくれた。
【略歴】
出身地 | 兵庫県西宮市 |
出身高校 | 灘高等学校(2013年卒業) |
大学 | 東京大学 理学部 物理学科(2017年卒業) |
大学院 | 東京大学大学院 理学系研究科 物理学専攻 博士課程 在学 |
際物理オリンピック2011タイ大会にて