「作法としての物理学に惹かれて」村下 湧音
2006年シンガポール大会
2007年イラン大会
2008年ベトナム大会
村下 湧音
日本で物理オリンピックの国内大会が初めて開催されたのは2005年のことだった。アインシュタインが特殊相対性理論をはじめとする偉大な3つの論文を発表した「奇跡の年」1905年から100周年を記念した世界物理年の事業の一環としての開催だった。私が物理学に興味を持ったのは間違いなくこの時に物理チャレンジ2005に参加したことがきっかけだった。
もともと幼少の頃から算数や理科系の科目や頭を使うパズルといったものが好きだったので数理科学全般に対する興味はあったように思う。また、中学生の時の物理の先生が特殊な授業をなさる先生であり、フェルマーの原理に基づく光学の説明や回転体の加速度と慣性モーメントについてなど、通常は高校でもやらないような発展的な項目についても話してくださり、興味深く聞いていたことを覚えている。そうした背景がありつつ、偶然に物理チャレンジの開催を知り、当時は参加費が無料だったこともあり気軽な気持ちで参加した。
物理チャレンジや国際物理オリンピックの問題は、知識という観点では高校物理を逸脱していることが多い。しかしながら、問題文の中で必要な知識や考え方について説明されていることがほとんどであり、知識自体ではなく与えられた情報に基づいて深く思考できるかが問われる。このように未知の現象に対して、与えられた情報をパズルのように組み合わせて、論理的に結論を導いていくというプロセスは、実際の研究を追体験するものであり、とても知的好奇心が刺激される体験だった。こうした体験を繰り返していくうちに物理学の面白さに惹き込まれていったのだと思う。
また、物理オリンピックの問題の中には泥臭い問題も多く含まれることも、逆説的ではあるが一つの魅力だと思う。日本の高校物理では理想的な状況を仮定し、綺麗な対象について議論することが大半だ。しかしながら、現実にある身の回りの現象を記述しようとすると、そういった仮定を置くことが有害な場合も多い。そういった場合には、詳細な部分まで忠実に数学的に記述していってこそ現象を説明できるようになる。大まかに記述して良い部分と詳細に記述すべき部分を切り分けて丁寧に向き合いさえすれば、複雑な現象に対してもしっかりと説明できることに物理学のパワーを感じられる。
現在、私は物理学とは直接は関係のない仕事に就いている。実際に物理学の知識が直接役に立つことは残念ながら非常に限られている。しかし、基本的な原理に立脚して情報を取捨選択することで、そこから論理的に結論を導くという物理学の作法は仕事にも通じるものだと日々実感している。思えば、私は知識としての物理学ではなく、作法としての物理学に惹かれていたのだと思う。作法としての物理学には知識としての物理学の枠を超えた未知の可能性が広がっているように感じている。国際物理オリンピックの参加者が既存の知識の枠に囚われない広い分野で活躍されることを祈念する。
【略歴】
出身地 | 広島県広島市 |
出身高校 | 灘高等学校 2009年卒業 |
大学院 | 東京大学大学院理学系研究科物理学専攻 博士課程 2018年修了 |
現職 | 株式会社エリジオン エンジニア |
日本初参加の2006年シンガポール大会にて小柴昌俊先生とともに